チームボックスの推進する女性リーダー育成プロジェクト「Project TAO(プロジェクト タオ)」。
社会や組織の変化を恐れず、生き生きと活躍できる女性リーダーの輩出促進を目的とした取り組みです。
「TAO」に込められた意味のひとつは「道」。私たちが進むべき道を学ぶケーススタディとして、リーダーシップを発揮する女性にお話を伺い、2つ目の意味である「先達からのタスキがけ」として次世代へとバトンを渡します。
今回は、豊かな食事体験ができる唯一無二の宿として高名な新潟「里山十帖」の料理長を務めるシェフ、桑木野 恵子さんにインタビューします。豊富な世界での修業経験とチームリーダーへの就任、挫折、立ち直り、ミシュラン一つ星の獲得。その先の10年の継続から起きた、自身、チーム、料理の変化を語っていただきます。
瀬田 千恵子(以下、瀬田):私は個人的に里山十帖に数年連続で通っていて、桑木野さんのお料理の大ファンです。
本日はお話を聞けて嬉しいです。よろしくお願いいたします。
桑木野 恵子シェフ(以下、桑木野氏):お褒めいただき光栄です。
瀬田:桑木野さんはご自身からはもちろん、お料理からも、土地のエネルギーのような力強さと、独創性を感じます。南魚沼の里山で料理をすることは、桑木野さんにとってどのような意味を持っているのでしょうか?
桑木野氏:そのように聞いていただくことは多いのですが、私自身は、地方でやっていることが特別なこととは捉えていません。そもそも私は特別、料理の道を志したキャリアではないんですよね。はじめて就いた仕事はエステティシャンですし、ヨガを教えていた時もありました。
一貫して、「人間」そのものに強く興味を持っていたので、生きている時間をどのように過ごすのか、大切な時間を、いかに健康で美しく過ごして使っていくのか、ということに視点を置いています。
その中で衣食住、特に食は身体だけでなくマインドにも影響するということを感じていました。
生きていく上で必要な、土と水と空気。それを使って料理で表現することは私にとって自然なことでした。
なので、あえて地方に来て料理を作ろうと思ったことは全然なくて、選択の結果、ここへ来て10年が経ってしまっていた、という感じです。
瀬田:キャリアのスタートは料理ではないのですね。この土地にたどり着く前に海外経験も長く積まれているとか。どのようにして現在のスタイルができあがって来たのでしょうか。
桑木野氏:はい、なんなら料理はいまだに少し違和感があるというか……。コートを着ているからシェフみたいに見える、と感じているところもあります。笑
私、昔から食べるのが本当に大好きなんです。そのスタンスがまず根本にあります。
そして前述したように、人そのものにも興味を持っていました。なので、色々な国を回っている時に「その土地の人が昔から口にしているもの、健康的なものや郷土料理が知りたい」と考えていました。
それで、オーストラリアから始まってインド、ドイツ、ネパール、フランス……。計20か国ほどは回りましたね。
瀬田:そこで、現地の食に触れていくわけですね。料理学校などに通われたのでしょうか。
桑木野氏:知らない人の家に行って教えてもらう、みたいなことをしていましたね。
瀬田:外国の初対面の人の家に!? すごいですね。
桑木野氏:拙い英語しか使えなかったですし、向こうも英語が話せるとは限らないので、よくコミュニケーションを取っていたな、と我ながら思います。何より、今考えるとちょっと怖いですよね。
でも、興味のままに勢いで通わせてもらうと、はじめは「なんだこの小娘」という感じなのですが、段々と自分たちのことに興味を持ってもらえたことを喜んでくれるんです。
たとえば、現地の言葉で「玉ねぎ」とメモを取ったりすると、同じ言葉を使ったことで心が通ったような感覚が生まれたり。
すると、どんどん距離が縮まり、いつの間にか受け入れて、面倒を見たり世話を焼いてくれて、仲良くなっているんです。そうやって教わった地元の料理が私のベースです。
約10年、海外と行き来を繰り返し、そうして世界中の色んな国で吸収してきました。本当に良いご縁に恵まれたと思っています。
瀬田:行動力が素晴らしいですね。
桑木野氏:ただ、やはり海外は危険を伴うんですよね。食中毒になったり、銃を突きつけられたりと、本当に死にかけたことも2回ほどあります。私は日本で生まれ育って、すごくイノセントな状態で渡航してしまったので、性善説と言うか、人は優しいものだろう、と信じてしまってトラブルを呼んでしまっていて。でも結局、助けてくれたのも人や偶然の縁でした。
瀬田:ご無事だったから言えることですが、このような様々、豊かな経験をして各国を回られたからこそ今のお料理があるのですね。
人材育成理論の計画的偶発性理論では、人が偶然を引き寄せるのは普段のありようが影響していると言われています。何か起きるのを待つのではなく、意図的に行動することでチャンスが増えるんですよね。
実は「機会というのは、自ら取りに向かう行いに寄ってくる。」桑木野さんはそれを無意識にされていたのではと感じました。
桑木野氏:そう言っていただけるのは有難いです。本当に恵まれているなと、いつも思っています。いただいたご恩を返したいという気持ちが、今の料理への原動力のひとつですね。
瀬田:もう1つ桑木野さんに感じていたのは、お料理だけでなくお人柄も輝いているということです。とても人を大事にされている印象を受けました。
桑木野氏:そんな風に言っていただけて嬉しいです。前述したようなピンチの場面で色々な方に手を差し伸べていただいたことが影響して、今の考えに至っている部分はあります。
瀬田:だからチャンスや縁を掴むし、人から応援されるのかな、と感じました。海外を回られている最中は、会社に所属している期間もあったと思いますが、一般的には会社勤めをしながら海外回遊は少しハードルが高いですよね。桑木野さんは、ご自身にとって必要なタイミングで貴重な機会を掴まれたのだと感じました。
桑木野氏:これも人生のタイミングとご縁に尽きると思っています。
マレーシアにある憧れのレストラン『a little farm on the hill』というところに3か月行った時はまさにそうでした。『a little farm on the hill』の方がお客様として来店して下さったので、私から「いつか是非お店に行きたい」と伝えたら「いいよ、いつでも来なよ」と言ってくださって。その当時はまだ料理長にはなっていなくて、会社を退職してでも行こうかと思ったら、ちょうど厨房の人員に余裕があったタイミングだったので会社が「じゃあ3か月行ってきたら」と送り出してくれました。
瀬田:奇遇な条件が揃ったタイミングだったのですね。
桑木野氏:そうなんです。だから本当にありがたいなと思いました。
でも、逆のパターンもよくあります。最初に行きたいと考えていた国に行けなかったり、希望していたビザが取得できなかったり、会社を辞めてまで準備していた渡航がなくなってしまったり、絶望してしまうほど、努力しても叶わなかったことも沢山あります。
今はそれも全て「ご縁」だと、ようやく思えるようになりました。スムーズに行くときは本当になんの壁もなく物事が進む。偶発的に見えるようで、これはご縁なのだと。
自分がクリアしたい物事を掲げるのは、もちろん大切なことだと思います。でもそればかりを見つめ過ぎず、根本の情熱だけは持ち続けることが長い人生大事なのかなと。そうすると、行くべき場所に連れて行ってもらえるということを、身をもって経験することができました。
特に若い時は、やりたくないこととやるべきことが上手く区別できなかったりするので、最近は起きることに身を任せています。自分の信念さえあれば行くべき場所にたどり着けるということを感じています。
瀬田:今すべきではなかったこと、行くべきではないところは結局ご縁がつながらない。そうやって、うまくなっているんですね。うまくいかなかったことや失敗したこともご縁であり、自分を創ってきた一部だと受け入れる。これは人間性の器を豊かにする垂直的成長とも言えると思います。桑木野さんの「いま」があるのは、こうした経験の蓄積がもたらしたものなのではないでしょうか。
桑木野氏:はい、そう感じています。
瀬田:その後、日本に本格的に帰国されたタイミングで料理長に就任されたのですね。
桑木野氏:はい、日本に戻って来た、まさにその日に就任しました。
瀬田:当日!それはすごいですね!
桑木野氏:休暇をもらって憧れのレストランに行くなど、好き勝手にやらせてもらっていた間に、会社が新店舗をオープンするなどかなり忙しくなっていて、もうNOとは言えない状況だったんです。本当は嫌だったんですけどね。自分には経験が圧倒的に不足していて、務まらないと思っていました。
瀬田:まさに、抜擢人事だったわけですね。
桑木野:会社、よく私に任せたな、と。笑
実際、2年ほどは辛かったです。前任の料理長は京都の3つ星で修業した経験のある懐石出身の方で、お客様から叱咤激励をもらうことも多くて……。特にはじめの1年くらいは本当にきつい時間を過ごしました。
加えて、私は当時長らくヴィーガンで、お肉と魚をほとんど食べていませんでした。もちろんお料理では扱うので、習慣を変えなくてはいけなくて。大袈裟に言うと尊厳を揺るがされるような感覚があったんですよね。
冗談ではなく毎日震えながら厨房に立っていて。私がやらないといけない、逃げられない状況ですし、かと言って実力が伴わず、しっかりできない自分も嫌でした。
ここだけの話、皆の前では泣けないから毎日家で泣いていました。
瀬田:そうですか・・・お聞きしているだけで、その当時の状況のイメージが浮かんできて、私が涙が出そうになります。痛み・苦しみ・葛藤・・・いろんなものがあったでしょうね。その状況を抜け出せた、ターニングポイントはあったのでしょうか。
桑木野氏:きっかけのひとつは、ミシュランが来たことでした。そもそも新潟はミシュランが入らない場所なんですが、その年だけ特別版ということで。これも不思議な巡り合わせです。
周りにも応援してもらって、結果一つ星をいただけました。
そこが、まだまだスタート地点には立てていないんだけど、これまでやってきたことを、少しだけ……でもすごく報われたというか。その時に、ようやくスタート地点に立てたなって思えましたね。
瀬田:讃えられることは人に勇気を与えますよね。認められたという一つの事実が、桑木野さん自身の人生の後押しにもなったのではないでしょうか。
ご自身に起きた変化はどのように感じましたか?
桑木野氏:認めていただいたような、勇気や力をもらって世界が広がるような感覚はありました。ですが、一番は自分自身か変わったかもしれません。
今もそうだと思いますが、特にあの時点ではまだ自分自身が半人前だったんですよね。
自分にはもちろん、周りにもとても厳しくて。プレッシャーと戦うために、休みを取らず、全力で料理に打ち込んでいました。そして、それを当たり前だと思って周囲にも同じ対応や努力を求めていました。
余裕が全くないので、チームメンバーを見守ってあげることもできなかったです。結果、チームや一緒に働くスタッフにものすごい負荷を強いていて、退職者まで出してしまって。「桑木野さんが怖いから辞めたい」と言われてしまったんです。
そこではじめて我に返って、私は独りよがりだったんだと気付きました。すごく落ち込みましたが、反省して、そこから徐々に変わることができたと思います。
瀬田:自分が頭を打った時に気づくことは大きな意味がありますよね。その時に自分が半人前だったと意味付けし、今となってはその時に自分を受け止めて、こうしてさらけ出せている。桑木野さんの変化がチームや一緒に働くスタッフにも伝わっているのではないかと感じます。
私たちチームボックスは、リーダー育成の中で「アンラーン(※)」という言葉をよく使います。自分の固執しているものや偏った価値観を捨て去って、新たに余白を作って新しい学びを吸収する。過去の蓄積や思考パターンを手放せたからこそ、次に、前に進めるんですよね。
※アンラーン=これまで培ってきた成功体験や信念、慣れ親しんだ習慣を捨て、新しい考えを取り入れること
瀬田:ここまでお話を聞いて、ご経験や興味の幅広さをうかがっても、やはりどこか一貫されている部分を感じます。1本筋が通っているというか。強い信念があるというか。お子さんの頃から継続は得意なタイプでしたか?
桑木野氏:いや、私は飽きっぽい方なんです。自分でも不思議に思うのですが、10年も何かひとつのことが続いた経験がないんですよね。今まで「新しい学び」というと、はじめての国に行って知らない人や文化に出会い学ぶことでした。
それが今や同じ土地に長く住み、365日ここで季節や料理と向き合い、ある意味ルーティンの中に身を置いています。逆にそれ自体が新しい体験です。
ずっと同じテーマを深掘りし続けていている中で、新しい扉が開き、まったく違う景色を目にすることができていると思っています。
瀬田:これまでの人生にはなかった、その場所でじっくりと継続的にやり続けることが、桑木野さんの新しい成長機会になっているのでしょうね。それに伴ってお料理も進化しますよね。
桑木野氏:変わりましたね。ミシュランを取ったときの料理を見ると、周りの目を気にして見た目が良い料理を作っているんですよね。どこかで見たものの真似のような、アレンジのような。
瀬田:今はどのように変わっているのでしょうか?
桑木野氏:今は本当に、地味です。笑
当たり前なのですが、まず何よりも「おいしい」ことを重視するようになっています。山にある珍しいものをちょっと面白く使ったり、手をかけて心が満たされるようなものを提供することを心がけています。
瀬田:私は、桑木野さんのこれまでの生き方そのものが化学反応して、桑木野さんのお料理が表現されているのだと思います。私は、桑木野さんのこれまでの生き方そのものが化学反応して、桑木野さんのお料理に表現されているのだと思います。ご自身だけでなく、チームの状況や変化はありますか。
桑木野氏:前述したプレッシャーの強いチーム状態だった時は、メンバーの退職をきっかけに強くショックを受けて、どう続ければいいのか迷いも持っていました。でも、残ったチームメンバーは頑張ってくれていますし、1回やり遂げたい。模索しながらなんとか今まで続けた、という感じですね。
やはりチームでやっていくことが私は好きだったので、「では、どうやってやればいいんだろう?」ということを考え抜きました。
瀬田:協働できるチームに進化を遂げたわけですね。現在はどんなスタイルのチームになっているのでしょうか?
桑木野氏:トップダウンスタイルで指示をしたり、全部を自分でやってしまう、ということを手放しました。
うちは普通の厨房とは違い、たとえばミツバチを育てていたり、畑を耕して作物を育てています。これまでは全部私が関わってコントロールしていたのですが、それも手放しました。担当ごとに任せることにして、最終チェックだけ私が関わります。
スタッフの経験値を広げることにも取り組んでいます。海外に行く時にはなるべくスタッフが同行できるようにしたり、海外インターン生を受け入れてチームの幅を広げるようにしています。
ここは田舎ですので同じ景色の中ずっとやっていますが、「ここにいる深さ」というのは、実は世界に繋がっているんだよ、と伝えて見せてあげたいと思いますね。
瀬田:アンラーンの連続ですね。まさにアンラーンしたことで新しい学びを得て、桑木野さん自身にとっても、チームにとっても、そしてお料理にとっても、ブレイクスルーにつながっています。そして、世界のあらゆる場所でつながりを作ってきた桑木野さんだからこそのお言葉ですね。
瀬田:これから先、桑木野さんはどのような進化を遂げ、どんなことに取り組んで行きたいとお考えですか?
桑木野氏:この先そこまで長く同じ働き方ができるのかはよく考えてしまいます。50歳になった時の働き方ってどうなっているかな?と。
そうなると、最終的には「地球に優しいこと」をしたいと思っています。山の中に住んでいるので特にそう感じますね。料理の枠に留まらず、考古学、数学、あらゆる分野の方から学びながら、今後の可能性を模索したいです。幸いにも私自身のバックグラウンドも幅広いので、色々なことにつなげていただける機会は多いんです。
瀬田:お料理にとどまらず、様々なものと化学反応を起こしたいということですね。興味あることや関心あることを豊かに捉え、これからもずっと学び続ける姿勢が、桑木野さんらしいですね!
桑木野氏:興味があることは全部やりたいと思っています。
私はずっと、シェフとして自信がない中でやってきました。なので、基本的に1人じゃ何もできないと思っているんです。人との繋がりやご意見、他ジャンルのプロの方から学び続けることが大事だと思っています。
瀬田:桑木野さんの自身の成長は尽きないでしょうし、自分自身の一部であるお料理はもっと進化を遂げるでしょう。この先が楽しみです!またお料理をいただけるのを楽しみにしています。本日はありがとうございました。
文/橋尾 日登美
瀬田:さっきチームでやるのが好きっておっしゃっていて、多分今ってむしろ料理長として周りのスタッフを育てることも意識しながらやられていると思うんですけど、料理の人材って結局どういう人が向いているんですかね。
桑木野氏:うちはもしかするとあんまり、そんなに私全然料理のスキル問わなくて、私どの仕事もそうだと思うんですけど、もちろん割り切ってお金だけもらえばいい仕事もあるし、それはそれでも良いんだったらお金に固執して、お金をもらうっていうエネルギーを注いでくれればいいと思うんだけど、何かしらの情熱みたいなものが1番大事だと思うんですよね。
パッションかな。恥ずかしいけどパッションがあるかどうかは、スキルは全然どうでもいいなって思っていて、そこに何かしらの意志、意志は最初はないけど、興味でいいから何か好きなものがある方が大事だなと思いますけどね。